臼井レイキヒーリングとは、と聞いて、
「怪しい」「宗教?!」
など…近寄りたくない感じや、拒絶反応まで。。
これまでに受けた印象や、それを行う存在の在り方や接し方、関わりの中で…
レイキに対してもなにか印象の悪いものを感じることになった、といったご意見。
背景を鑑みればそうなることも当然かな…と思うことがあります(^^)
わたし自身も、はじめてレイキヒーリングという名を聞いたのは2008年。
"それはいいです"っていう感覚でした💦
すでにカラーセラピーやマヤ暦にはなんの抵抗もなかったのに…(^◇^;)
なんだかわからなかったですし、ただ、やたら勧められたので(^◇^;)
よくわからないものをただ勧められてもイヤになるものです。。。
かつて…駅前や街中で、ひと様のおでこの前あたりに手をかざす、そんな光景をよく見たりしたことはありませんか??
世代によっては、あのイメージがついちゃってたりして、、
なんかこう宗教的なものと感じたり、怪しげ、という感じがしちゃったり。
もちろんあれとは違います(^◇^;)
今の時代となっては宗教に対する抵抗感はさらに増してる気もします。
色々な事件や問題、家族内でのトラブルが多く相談としても寄せられます。。
宗教観となると…個人の自由。
しかし家族の誰かがそれをとっても大事にしていたとして、
同じものを求められると、それは困ります…
その方がそれを選んだと同じように、家族であっても個々に人生を選ぶ権利があるわけです。
そういったこともまた、感じ方受け止め方はひとそれぞれであって、人生の中で変わっていくものでもあって…
それらは経験値からくるものであって
本当に様々でしょうし、自由であり、細かく多様化しているものかと思います✨
やたらとスピリチュアルな接し方をされて
あることないこと、これが原因だと言われたりだとか…
ここが悪いとか、こうなってるだとか、聞いてもいないのに言ってくるとか。
ただそんなことを言われて不安を煽られたりだとか。。
何かの話を軽い気持ちでするたびに…
求めてもいないし、お願いをしたこともないのに。。
「それならレイキがきっといいと思う」だとか
「レイキは効果ありますよー」なんてやたらと勧められたりだとか。
または受けている人たちから、
これもまた頼んでもいないのに。。
「レイキ受けると変わるよ」
「速度が増すから受けた方がいいよ」
なんて…
いわゆる根拠のない、と感じる余計なことを聞くたびに、
あーー、もーぜったいやだ
わたしはぜったい受けたくない
気持ち悪い…はぁもーめんどくさい
いちいち勧めてこないで
いちいちわかってる風のことを言ってこないで
聞いてもないこと言わないで
偉そうに何様なの?!
そうそう、ひとの気持ちって、そういうものだと思います。
スピリチュアル的なものに触れた時、このような…
聞いてないことを勝手に診断される
決めつけてものを言われる
◯◯した方がいいと聞いてないのに言ってくる
◯◯してあげると頼んでないのに言ってくる
おせっかい、
よかれの押し売り、
無駄なジャッジメント、
こんな感じが起こすトラブルが多い…
その結果…
関わりのあった方がやっていたことの中に
カラーセラピーやレイキヒーリング、ヒーリングやリーディング系、パワーストーン、占いなどがあったりして。。。(^◇^;)
もう全部嫌、ムリ、気持ち悪い、
となるわけです。
みな、怪しいものには手を出したくはありませんよね。
引っかかったり、騙されたりしたくない!
これも当然(^^)
わたしも引っかかりたくはないですし、家族や友達もそういったものには気をつけてもらいたい。
ただ、現代においては…
SNSを通して信じられない事件が増え、それを聞く度に余計な恐れが増えたり過敏にもなってしまったり。
そんな複雑な世の中になってきたのかもしれません。
しかし本当はシンプルです。
余計な不安を抱く必要はなく、
しかし、ただただ信じることは、それは盲信であるだけ。
しっかりと必要な質問をしてみて、確認をしたりして、
納得がいくまで聞いてみることも調べてみることもとてもいいと思います(^^)
わたし自身もまた、
自己との向き合い、カウンセリング、カラーセラピストとしての活動の中で…
自己成長の機会を主に、精神的成長としてチャレンジし分析をしてきました。
今も終わったわけでは当然なくて、探求の最中です(^^)
多くの学びや叡智に触れることが必要であったことは当然で、
その中にカウンセラーとしてのことや
カラーセラピー、色の持つ可能性や算命学という統計学、陰陽学、タロットカードの知識、数秘学、心理学、哲学、神話、エネルギーへの体感を通した理解…
などがありました。
心が平穏であれば世界平和はなされる機会があり、さらに継続することも叶うであろうと思い、自らも実践している中で、個人的感覚としては…
安心と平穏の中、波の立つことの少ない、または揺らぎの中の安らぎを得ることが出来ました。
その平穏の期間の続いた先に再会したのがレイキヒーリングでした。
再会と言っても…
必要な流れの中で受け取ることになったこと。
いつもお客様がきっかけをくださるものです。
この時ももちろんそうでした(^^)
そして臼井甕男先生の教えに触れることで、霊氣ヒーリングの真の目的に触れられたこと。。
そのかなりスピード感のある流れではありながら、幾度もその教えを聞く機会を選択し、
そしてわたしの目的と通ずるものと、実感できました。
今のタイミングでなかったら、理解の質は大きく違ったのではないか…と思います。
今のタイミングでの採用であって
このことを通してまた自己鍛錬が始まるとも言います。
決して終わりが来るわけではなく、臼井霊氣を通して自らの道を振り返り、さらに深めていける探求の道が始まったのだと思うと、それは喜びです。。
答えを探す旅ではありません
答えなど通過でしかないからです
何かを得ようというものでもありません
それもまたただ通過であり昂揚を求めるものではないからです
かつては怪しいと感じた、
その気持ちが払拭されるまでの経緯の中で
ひとつひとつのプロセスの全てがここに至るために必要だったわけです(^^)
かつて怪しいと感じた、おそらくそのタイミングでは…
わたしの場合この精神状態になれる経緯の中で、そこではなかった、そのとき受け取ってはならなかったものだったからだ、
と思います。
振り返れば確かに…
流れのひとつひとつ、向き合ったカラーや算命学、タロット、カウンセラーやセラピストとしてのわたし自身のそのひとつひとつへの感覚や体感、認識が先に必要でしたし、その歩みはひとつひとつでした。
その道のそれぞれを選んだ者として、
ひとつひとつへの理解は説明できる状態でなければ意味がないと感じています。
伝えるという立場なのであれば尚更。。
プロセスがすべて重要になり、
その流れでこのタイミングだったのだと感じています。
わたしの精神や体内のエネルギーの質や変化、意識とのこと、その時々の状態、そして微細なエネルギーレベルの段階、チャクラの状態、これらを理解していなければ…
臼井霊氣ヒーリングのエネルギー
その違いや臼井霊氣ヒーリングを受け取ることでの変化を感じることはできなかったのではないか、と思います。
また臼井甕男先生のそれまでの経緯や到達した感覚と必要と感じ遺した教えやシステム、
そのようなものへの理解もまた、今だったからこその体感や質問、そしてわたしな感覚との相違、さらに探求ができるわけです。
わたしたちは宇宙に存在していて、
さらにはその中の地球というエネルギー体の中に生きることを選びました。
わたしたちは宇宙エネルギーを常に受け取って生活しています。
わたしたちと地球、宇宙は切り離せないもの宇宙に存在するすべてがバランスによって保たれている
↑
このことの理解はどれほどでしょうか…
日々何かあれば、目の前のことにとらわれて当然
誰かとの問題があれば、そのことに意識が囚われて当然
日々、様々な出来事が、不定期に訪れる…
その中で試されているのですよね(^^)
嬉しくなくても。。笑
しかし、上記のことがまず前提にあることを思い出してみてください。
そして森の木々や川、海、太陽、花々たちもまた、わたしたちと同じようにエネルギーを受け取りここに存在しているのです。
花は、
「わたしたちはせっかく頑張って咲いたのに、この後なぜ枯れるのか…」
そんなことは言いません。
(思ってるかもしれないけど(^◇^;)
ひとつのサイクルのスピードがどうであれ、
わたしたちには自然の流れがあるのです(^^)
自然はそれを見せてくれます。
このことにはなんら怪しさのかけらもなく、自然と受け取っていると思います。
しかし、このように考えることが嫌で仕方ないとか
気持ちが悪い、そのように感じる方々もいると思います。
それならそれでいいのです。
その時々でそれぞれに感じ、受け取る必要のある時がある。。と思いますし、その理由がその方々にあります。
みな、誰しも、したいことはそれぞれ
そして誰かに止められるものでもなく、
それぞれのタイミングで、選ぶのです✨
それがなんであれ、その方にとって必要なことであって、それもプロセス
反発があるものほどに、関心のある証
この反発と関心は、同じベクトルです。
このような相反する事柄への理解にもまた、各自のプロセスがあるものと思います。
今海外で発表されている西洋レイキヒーリングの科学的な根拠、エビデンスが多く日本に知れ渡り、国内でも採用が盛んになったとき、
科学的な側面でも理解が浸透し受け入れられ、日常となることが、未来は可能かもしれません。
しかしそんなことがなくても本来は、
手当療法として、日本が発祥であることは、日本人であればだいたい知っているのですよね。
痛いところに手を当てる、
辛いところを手でさすってさしあげる、
そっと背中に手を添えるようなこと、
そのような中で育っているのです(^^)
誰にもされたことがない…
そのような方もいらっしゃるかもしれません
もし、いらっしゃったらぜひ機会があればしてもらってみてください⭐️
どことなく人肌の温かさを感じます。
それによってホッとすることがあると思います(^^)
この行為は信頼できる人からがいいのですよね(^^)
安心できそうだとか、信頼できそうだとか、
もししてもらってみるとしても、近くそのような方にきっとお願いしてみると思います。
わたしたちヒーラーは、パイプになって…
とはいっても、
誰から受け取りたいのか、そう思うのも素直な人間らしさ、なんですよね⭐️
臼井霊氣ヒーリングの学びの中で…
「怪しまれることを避け、説明はそのような方には要らない」
「怪しまれている人たちに対して、詳しいことを話す必要はない」
とありました。
ここには個人的には多少の疑問があります。
わたしは必要なことは説明の機会が必要なタイミングで、必要だと考えます。
怪しまれることを恐れるのではなく、避ける必要もなく、
その本質をただ丁寧に説明できる場を持てばいいのだと思うのです。
その代わり、わたしたちもまた実践を繰り返し説明できる存在でなければならないと思います。
このような説明は、聞かれる前から話すことではありません。
わかってもらうために話す
またはこれまでの実践の努力を示す
さらには、努力の大変さを理解してもらう
これらが目的ではないからです。
しかし、そのタイミングは聞かれた時だけとも限りません。
それぞれが必要と感じたときに、受け取れる状態にある、そのときにわたしたちが、その方に必要な部分だけを説明できる
これを準備することが必要かと考えます。
上記の文面はこのことを言っているのだと思うのです(^^)
なんのために臼井霊氣ヒーリングがこの世に放たれ、今101年目となっているのか
その目的はわたしたちマスターが共有しておくべきこと。
大切なのは、誰かの役に立つ可能性があるのであれば…
【わたしたちもまたひたすらに実践する】
何もすごいパワーや能力を得たということではなく
誰かとの違いを明らかに示すためのものでもありません。
実践を繰り返し、探求し、心が平穏で精神成長していくその道にある探求者として、
霊氣ヒーリングの教えが必要になることがある、またはその教えが支えとなることがあるのです。
臼井霊氣ヒーリングの教えでは、
その言い回しに特徴的なものが多く独特の世界観があります。
理解に対しては、噛み砕きや例え、事例が必要なことがあると思います。
その特徴的な部分が、宗教的であるとか、怪しいに繋がるものがあるのかもしれませんが、ごく当たり前のことをお伝えしているものであり、とても日常に当てはめられる、現実的で実践的なものです。
ヒーリングを受けていく中で、頭を使うより感じる生活へと変わっていく
その流れの中…ご自身の求めることへの意識、ご自身へ向き合う機会、感じることが変わってきたり、何か新しいことを始めたくなったり…と。
これらは体験された方にしかわからないものかと思います(^^)
それを他者に理解してもらう必要はないですし、変わっていく姿は、周りは自然と気づくものでもあります。。
受けていることを知らしめる必要もないわけです。
ご自身のためにしてゆくことで、それが他者へ自然循環していく…
わたしたちはエネルギー体です。波動は自然と伝わるのです✨
今回はよく言われる、
レイキヒーリング怪しい
について、臼井レイキヒーリングとは、と共に書いてみました。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
みなさまが自分らしく人生を送る
そのために臼井霊氣ヒーリングでなくても、ご自身にぴったり合うサポートや存在に出会えますよう、お祈りいたします❤️
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